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お彼岸

 

春と秋に「お彼岸」があります。

「暑さ寒さも彼岸まで」というように季節の変化を感じる時期でもあります。「国民の祝日に関する法律」によると、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ」とあり、祝日の前後3日間を合わせて7日間がお彼岸となります。

「彼岸」という言葉は仏教用語の「パーラミター」(波羅蜜)の漢訳「到彼岸」に由来しますが、実は、春にはその年の豊作を願い、秋には収穫を感謝するという日本古来の「神道」と「仏教」が結びつき、祖先を供養する日本独自の仏教行事となったようです。「到彼岸」とは、この世(此岸)から、あの世(彼岸)に到達することです。つまり煩悩・毒まみれの生活から、正しい「生き方」に目覚めさせていただく期間が「お彼岸」でもあるのです。

お釈迦様在世のころ、多くの子どもを持つ訶利帝母(かりていも)が住んでいました。彼女は恐ろしいことに、他人の子どもを捕らえては殺し、食べてしまうという悪業を始めました。町では子どもを持つ母親達が恐れおののき、昼も戸を閉ざす有様となりました。人々は、鬼のような女、鬼の生まれ変わりというので鬼子母(きしも)と呼びました。

それを見かねたお釈迦様は托鉢の帰り、彼女の留守を狙い、彼女が最も愛していた末の子どもを隠しました。訶利帝母は、半狂乱となって町を駆けずり回り、探しましたが見つけることができず、お釈迦様に助けを求めました。

(訶利帝母)「お釈迦様、私の子どもがいなくなりました!もう気が狂いそうです!
       どうか、あの子に合わせてください!」

(釈迦)  「そなたには、何人の子どもがいますか?」

(訶利帝母)「たくさんの子どもを持っています」

(釈迦)  「たくさんの子どもを持っていても、その一人を失っただけで、こんなにも悲しく
       また苦しいのだよ!」

(訶利帝母)「申し訳ありません。どうかお許しください!
       お釈迦様、私の子どもは生きていますか!」

(釈迦)  「生きているとも。返してほしいか」

(訶利帝母)「返していただけたら、何でもいたします」

(釈迦)  「ならば今後、仏弟子としての約束が守れるか?」

(訶利帝母)「はい!そればかりか多くの子どものために身を粉にして尽くします!」


お釈迦様は隠していた子どもを訶利帝母に戻し、これまでの過ちを懺悔反省させ、仏法に帰依させたのでありました。それより訶利帝母は、鬼子母神(きしもじん)として、子どもと安産の守り神となりました。お釈迦様は、子どもを捕らえて食べてしまった「殺人鬼」をも、その場で殺すのではなく、懺悔反省させ、守護神として祀られるように教化(きょうけ)されたのです。

懺悔反省こそが、煩悩・毒まみれの生活から、正しい「生き方」に目覚めさせていただく第一歩となるのです。

 


 

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